ここに立つのは立山を開いたという伝説の少年佐伯有頼(ありより)の像。
 有頼は白鷹と熊に導かれて立山に登ったという。少年が山を開いたという童話のような伝説を持つ山は立山だけであろう。
 越中(富山県)では有頼を手本にして少年たちは町々村々から隊を組んで立山に登り、立山登頂を果たして、はじめて少年は社会的に青年と認められた。郷土の成人式であった。
 そのため子供たちは、幼少から立山を目標に、体も魂も強くたくましく、心清らかに育てられた。いわば「立山教育」であった。
 有頼像の後ろの茂みには大正天皇・昭和天皇のお歌碑が立つ。
 大正天皇は漢詩で「立岳(りつがく・立山)空を衝(つ)き東に向かって聳(そび)ゆ」と詠まれ、昭和天皇は

     立山の空にそびゆるををしさにならへとぞおもふみよのすがたも

と詠まれた。立山のあの雄大な姿に日本の国、世の中の姿も見ならってほしいと詠まれたわけだ。天皇が「御代の姿もならへ」とまでほめたたえられたのは立山だけであろう。 (このお歌には岡野貞一さんのすばらしい曲がある)
 立山を開いた有頼に対して、立山をはじめて歌にして書きとどめたのは「万葉集」の大伴家持。(そして大伴家と佐伯家とは同族の間柄)

   立(たち)山に降りおける雪を常(とこ)夏に見れどもあかず神(かむ)からならし

この歌碑はすぐ南の茂みに立つ。(日本最初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士は二十五年前この碑を訪ねてこられた)
 家持の歌碑と有頼の像は相並んで越中(富山県)の青少年がたくましく健全に育つのを見守り、本日の「ウオーク」をほほえんで見ているであろう。
 この呉羽山は立山を真正面にあおぐ、まさに「特等席」。そして立山ゆかりの碑(いしぶみ)もかずかず。本日の行事のカナメにふさわしい地である。


          立山開山佐伯有頼少年像建立の会

             発起人  廣 瀬   誠
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