のっちゃんの攻城手記−越前大野城


第七回目は「越前大野城」を紹介します。

越前大野城は福井県の大野市にあり、JR越美北線越前大野駅から西北へ約1kmの亀山に築かれています。
現在、越前大野城は亀山公園として整備され市民の憩いの場所となっています。
北陸の小京都と呼ばれる越前大野は、町全体が江戸時代の面影をとどめており、お城見物の後は是非城下町の散策も行って欲しいですね。
特に、寺町通りや武家屋敷がお勧め。
七間朝市が生活に密着した朝市として現在に続いているそうですので、朝早い場合はこちらもお勧め。

越前の守護大名朝倉義景が、織田信長の軍勢に一乗谷を追われて自刃した最後の場所でもあり、 六坊賢松寺の墓所の側には義景公園があります。

平野部の小高い丘に築かれているお城なので、特別な装備も必要有りません。
ただ、坂道が続くので足下だけはスニーカーなどが良いと思います。
登城に当たっては、当時の登城口である、郷土歴史館前の「百間坂」からをお勧めします。
ここには搦手門が復元されています。
また、復元された二層の天守の中は資料館になっています。

【大野城紹介】
越前大野城は、織田信長の武将金森長近が越前平定の功績により大野郡に4万石の知行を得て、1575年(天正3年)に入封し、 翌1576年(天正4年)から4年の歳月をかけて築城しました。

1586年(天正14年)、金森長近は飛弾高山に移り、その後は城主がたびたび変更になりましたが、 1698年(天和2年)には大老土井利勝の四男の土井利房が四万石で入城し、それ移行は明治の廃藩まで土井氏8代が城主を努めました。

越前大野城は山上の本丸に二層三階の大天守と二層二階の小天守を持ち、麓の山下に二の丸・三の丸を持つ平山城です。
山頂部の遺構は公園として整備されていて、各曲輪の石垣などが良く保存されているものの、 麓の藩庁や御殿の置かれた二の丸跡や三の丸跡は、裁判所や大野公民館などの施設が建ち、現在はほとんど遺構は残されていません。

また、金森長近は城下の整備にも力を注ぎ、南北に6筋、東西に6筋の町並みを完成させました。
中心街は武家屋敷や町家が並び、その外側には寺町が配置してあります。
今でも寺町通りには寺院が建ち並びます。


【攻城手記】
丸岡城を攻めた後、同じ福井県の越前大野城を攻めることにする。
大野城と言う名のお城は、福岡県の他数カ所有るらしく、これらと区別するために 一般的には越前大野城と呼んでいるらしい。
登り口は3カ所あるらしいが、今回は昔からの登城口である、百間坂から攻めることにする。
土曜日だったので、大野市郷土歴史館と裁判所前の空きスペースに車を止めさせてもらいました。
(まあ。断った訳ではないので路駐ですけど…。)
大野市郷土歴史館の裏側に、少し分かりにくいが無料駐車場があります。
この建物もすごく味わいがあって興味を惹かれたのだけど、まずは城攻め。



百間坂の登城口には、復元された搦手門があるが、その脇に案内図を発見。
(…しながら今回は良く確認しないで登城してしまいました。
 今回はこれを怠ったために、車に戻るのに悲惨な目に遭ってしまうのでした〜(;;)。)

城攻めの際の注意事項として、事前にパンフレットなどを入手するか現地案内図をデジカメで撮影することをお勧めします。
特に登り口が複数あるお城の場合、帰り道を間違えると悲惨なことになります。
場合によっては折角下山したのに、降りてきた道をそのまま戻る羽目になります(^^;
(まあ、平野部のお城であればどうにでもなるのですが、(城下町を散策しながら車に戻るのも良いですしね(^^))
 山城の場合は要注意です。)

ちなみに、今回の登り口は案内板の左中段の登坂口です。



20分ほど坂道を上ると、本丸につきます。
それほどきつくもなく、ほど良い散歩コースと言った感じです。
そのうち、碑が見えてきました。
ここまでくると本丸はもうすぐです。



ほどなく本丸に到着。
どっしり重厚な感じの天守閣に見とれます。
ここには二層三階の大天守と二層二階の小天守が有ります。
正面が大天守で左奥が小天守になります。
何度も書いてるんだけど、戦国時代のまさに戦うための実質本意の天守閣は非常に好感が持てますね。
いや〜ほんとに絵になるお城です。



また、天守台の石垣は、前回の丸岡城と同じ「野面積み」という戦国時代の古い方式で築かれています。
この石垣は、見た目は多少不格好で無骨な印象を受けますが、隙間が多いためか排水が良く大雨でも崩れる心配が無いそうです。
まさしく戦国時代の実質本意をかいま見ることが出来ます。
当時の築城技術に感心。



天守閣を外から満喫した後は、いよいよ天守台に上ります。
入り口は後ろ側に有るため、天守台の外にある石段を登っていきます。
こんなところも、防御を考慮した作りになっているんですね。



いよいよ、天守閣内部の見学をしようと思っていた矢先、 天守台の反対側に興味深いものを見つけました。
それは、天守台にもうけられたいくつかの虎口です。
(出入り口の形が虎の口に似ている事から名付けられています。)
小さい出入り口ですが、それぞれが攻めにくく、守りやすい構造になっています。
敵兵が攻めてきた場合、ここの出入り口を石か何かで埋めてしまえば、ここから攻めることは非常に難しくなります。
また、当時はここには塀と門が備わっていた事を考えると一層堅固な守りであった事が推察されます。
入り口一つを見てもつくづく戦うためのお城で有ることが分かります。





見事な虎口に感心しながら、天守閣内部の博物館を見学し、天守閣の最上部へ上ります。
土井氏を中心とした歴代の城主の遺品などが展示されています。
内部は鉄筋コンクリート製なので、階段はなだらかで良かったのですが、丸岡城見学後では なんだか味気なく思うのはどうしてでしょう(^^)
天守閣の最上部からは、大野市全景が見渡せます。
まさに絶景。殿様気分とはこのこと。



休憩を取って一息ついて、写真も取りまくり、満足してさあ帰ろうかとなった時、 ふと、上ってきた登城口と違う登城口から降りてみよう。と思い立ち西側の登城口から降りる事にしました。
(上の写真を見て頂けるとよく分かると思うのですが、車を置いた場所はお城の南側(写真左側)です。
 西側(写真上側)の登城口からはさほど距離は有りません。
 北側の降り口(写真右側)は車を置いたところからはさすがにチョット遠いので、
 西口(写真上側)に降りてそのままお城の外周を左回りに帰ろうとしたんですねぇ。)

無事何事もなく西側の登城口に降りたものの、何を思ったのか右回りに歩いてしまいました。
そう、西側(写真上側)から北側(写真左側)登城口を回り込むとかなりの距離になります。
さすがに途中でおかしいなぁと気が付いたのですが、戻るのも癪なのでそのまま歩き続けた訳ですね。

ところが、このころから雲行きが急に怪しくなり…。そのうちかなりの雨脚に…。
当然、カサは車の中…。
付近の民家の軒下でしばらく雨宿りさせて頂く事になりました。
通り雨だったので(10分ほどかな)良かったのですが、かなり恥ずかしかったですね(^^;。
西口に降りたときにちゃんと帰る方角を確かめて居れば、ギリギリ雨に降られることも無かった気が…。




おまけ
丸岡から大野に向かう途中に勝山市があります。
そこにもお城が有るのですが、これがまた何とも…。
平成4年に作られた姫路城をモチーフにした全くのレプリカ。
内部は、歴史博物館らしいのですが、
高い入場料の割には、見るべきものはなにも無し。
(個人資産でお城を造ろうと言う心意気は買いますが…。
 総工費70億。もっと使い道もあっただろうに…。)
ここでは唯一、駐車場前の売店のソフトクリームが大変おいしゅうございました。(^^)
田んぼの真ん中にデーンと建っている絵柄は何とも違和感が有りますが、 でも、遠くから見るとまあまあ見る事ができますかな。
ちなみに、本物の勝山城は現在の勝山市役所の場所にあったそうですが、
現在では、お城の遺構は全く残っておらず、記念碑と案内板だけがポツンと有るそうです。








【まとめ】
本丸以外の遺構は市街地化によりほとんど残されていないが、それでも麓から見上げる大野城は絵になる。
また、戦国時代の風格を備えた天守閣も一見の価値有り。
城下町散策もお勧め。




【メモ】
・交通アクセス
所在地: 福井県大野市城町3−109
鉄 道: JR越美北線「越前大野駅」から徒歩25分
平成16年7月の集中豪雨による被害により、一部区間ではバスによる代行運行 がなされているいようですので、鉄道をご利用の際は必ず事前にご確認をお願いします。)
車  : 北陸自動車道 福井IC〜国道158号線で大野市市街地まで
駐車場: 大野城無料駐車場を利用。(お城に南側、西側に併設されています。)


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Text & Photo by Y.No


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