のっちゃんの攻城手記−春日山城


第八回目は「春日山城」を紹介します。

春日山城は、お隣の新潟県の上越市にあり、戦国の雄・上杉謙信のお城として有名なお城です。
春日山は北陸街道と北国街道が交わる交通の要衝にあり、麓には海運が栄えた直江津を有します。
謙信の全盛期には領土は十余国に渡り、実収入は三百万石を上回ったと言われるほど繁栄した お城と城下町でしたが現在ではその面影はなく、山全体がひっそりと木々に覆われています。

それでもいたるところに堀切、曲輪、土塁の跡が残っており、戦国を生き抜いたお城を 堪能することが出来ます。
また、登山道や休憩所も整備されているので、ちょっとしたハイキング感覚でも大丈夫です。
天気が良ければ頂上の本丸跡からは日本海と高田平野が一望出来ます。

城攻めに際しては、急な坂道が続きますので足元はしっかり準備しておきましょう。
また、水分補給のための水筒やチョコレートなどの軽食も準備しておくと良いかもしれませんね。
(謙信公の銅像前には売店もあります。)

【春日山城紹介】
築城時期ははっきりしないが、今から600年ほど前の南北朝時代まで遡るらしい。
16世紀前半に長尾為景(謙信公の父) が戦国城郭に作り替えたと言われる。
その後、謙信公が約30年を掛けて普請を重ね、現在の様な大城郭になった。

1598年3代景勝が豊臣秀吉の命により会津に移封されるに伴い、堀秀治が30万石で入城。
堀秀治は山深い春日山に不便を感じ、直江津に福島城を築城し春日山は廃城となります。
(ちなみに堀秀治は福島城を完成させる事無く1606年に死去。
 秀治の子忠俊が福島城を完成させ、福島城に移りますが、その後忠俊は1610年に所領を没収され追放。  代わりに徳川家康の6男松平忠輝が入り新たに高田城を築きます。)

【攻城手記】
北陸自動車道を上越ICで降り、約15分で到着。
上越市内からは、道案内の看板も出ているので、迷わずに来ることが出来ます。
人家の外れに、春日山城跡の碑が有ります。
ここからだと、お城がよく分かりませんが、左側の砂利道が旧大手道になるそうです。
(ちなみに、ここから登城すると本丸まで2時間^^。
 ここから大手道を進むには、近くにある無料駐車場を利用してください。
 この先の砂利道は車両進入禁止です。)
一般的には、右側のアスファルト道を車で登り、謙信公の銅像前か 春日山神社の無料駐車場まで行きます。

写真:01.大手道


碑のそばにあるポストからガイドマップを入手しておきましょう。
城攻めの際には必須アイテムです。(地元の方に感謝^^)

写真:02.全体図


現地案内板のほぼ真ん中にある謙信公銅像前まで車で上ります。
本丸を直接攻める方は三の丸下の駐車場まで車で行くことが出来ます。
(但しあまり広くないのでご注意を)

今回は謙信公銅像前の駐車スペースに車を止めて、いざ登城開始。
ここには売店があり、おみやげグッズの販売や軽食を食べることが出来ます。
(おみやげの人気ナンバー1毘沙門天の旗700円なり^^。)

写真:03.謙信公銅像前


この時、午前8時にも関わらず既に先行車4台。
(いずれも他県ナンバー・・・。お城好きは全国に居るんですねぇ。)
現地案内板の右側外周を回っての登城を目指します。

写真:04.春日神社


謙信公がまつられている春日神社に参拝して先を進みます。
この先は遊歩道が整備されていて、城攻めと言うよりはハイキングといった感じです。
森の中を進んで行くと、ほどなく千貫門跡に到着です。

写真:05.千貫門跡


何とも案内板の説明文に驚愕。

春日山神社側からクランク状の道がここに通じている。三方が土塁と土手に囲まれ、 左に二本、一見道と思われる切り通しがある。実はこれは空掘の底で、 侵入者を空掘から急峻な崖下に落とそうとしたものだろう。
周到に計画された普請は、本丸と千貫門の外とを区画する重要な地点であった事をうかがわせる。
『現地案内板より抜粋』


写真:06.虎口


直江屋敷跡の直前に曲がりくねった坂道があり、 それを登り切ると、土塁が左右から突き出ており敵の侵入を阻む構造になっている。
直江屋敷を、単なる家臣の屋敷とするのではなく、敵の侵入を阻む防御施設として 重要視していたことが分かると思う。
(格好いいことを書いていますが、このあたりからかなり上るのがきつくなっている のはナイショ^^)

写真:07.山道


直江屋敷跡をすぎ、お花畑をすぎると毘沙門堂あとに到着。
(このころ既に少しへばり気味なのはナイショ^^)

写真:08.毘沙門堂あと


毘沙門堂をすぎるとすぐに本丸です。

写真:09.本丸


写真:10.本丸からの眺め


先行されていたグループの方がコーヒーを飲まれていました。
この見晴らしの中で飲むコーヒーはうまいんだろうなぁ。
と思いながらのむ番茶は微妙なお味でした。

ここからは、二の丸に直接下る道と、本丸の裏側から井戸跡を経て御成街道沿いに 上杉景勝屋敷跡−南三の丸に至る道が有ります。
今回は直接二の丸に降りる事にしました。

写真:11.二の丸跡


写真:12.二の丸案内版


今は何もありませんが、当時は本丸を守る最終防衛ラインとして いろいろな機能が備わっていたと思われる場所です。
建物も防御を重視した複雑な作りになっていたことでしょう。
(ちょっと当時を偲んでみたりして・・・。)

写真:13.竪堀


写真:14.竪堀案内板


さて、二の丸の下には山裾から縦に伸びている縦堀が有ります。
夏場は特に草木が生い茂って居るので、全体像がつかみにくいですが 自然の沢を利用しながら二の丸と三の丸の防御に役立っています。
このあたりが、春日山城が難攻不落と言われる所以でしょう。

写真:15.三の丸から二の丸を望む


二の丸から三の丸の降りる道を三の丸から見た写真です。
非常に複雑な地形となっており、お城の主要部の防御を見る事が 出来て、非常に興味深いです。

写真:16.三の丸に残る土塁


写真:17.景虎屋敷跡


三の丸には、米蔵を守るための土塁の跡が良好な状態で残っています。
また、三の丸には、謙信公の死後に起こった「御館の乱」で破れた 景虎公の屋敷跡もあります。
この場所は景虎公が小説のモデルにもなっていることからか、 春日山城で一番訪れる人が多いところだそうです。

三の丸の下からは、車も通れる道が謙信公銅像前まで続いています。
車に戻って一休みです。

おまけ
春日山城の麓に、林泉寺と言うお寺が有ります。
入場料が500円とちと高めですが、境内には上杉謙信のお墓や川中島合戦戦死者の供養塔があります。
門は春日山城の搦手門を移築したものと伝えられ、現存する唯一の春日山城の建築物となっている。
また、宝物館には、山門に掲げられていた「第一義」の額があり、謙信の直筆と伝えられています。

写真:18.林泉寺




【まとめ】
とにかく壮大なお城。
石垣も天守閣もないが、戦国時代まっただ中のあってまさに戦うために作られたお城が実感出来ます。
一見の価値有り。




【メモ】

・交通アクセス
所在地:
新潟県上越市大字中屋敷

鉄 道:
JR信越本線、春日山駅下車、徒歩30分。
JR信越本線高田駅下車、または JR北陸本線直江津駅下車から上越バスで「春日山下」降車、徒歩約15分。

車  :
北陸自動車道 上越IC〜上越市市街地へ (上越市役所を目指します。)

駐車場:
春日神社無料駐車場を利用。

・入場料:無料

・近くの見所
林泉寺
上杉謙信のお墓があります。
門は春日山城の搦手門を移築したものと伝えられかなり見応えが有ります。
宝物館には、謙信の直筆と伝えられている「第一義」の額があります。

高田城
松平忠輝により築城されたお城。
築城に要した期間は約4ヶ月と言われる。
3重の天守閣が復元されており、内部は資料館になっている。

春日山城史跡広場・ものがたり館
発掘調査によって確認できた土塁や堀、道などが復元され整備されています。
謙信公や、当時の春日山城の様子などを大型画面のビデオで紹介しています。


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Text & Photo by Y.No


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