のっちゃんの攻城手記−但馬竹田城


第十四回目は「但馬竹田城」を紹介します。

このお城は兵庫県の朝来市にあります。
旧但馬国にあるため但馬竹田城と呼ばれます。
この竹田城の見所は頂上部からの見晴らしの良さと石垣と縄張りです。
晴れた日の本丸からの眺めは「すばらしい」の一言に尽きますし、 中腹から山頂部に掛けて連なる石垣と縄張りは「見事」と言うほかありません。

また、お城の麓にあるJR竹田駅の周りには古い町並みが残り、城下町の面影を留めています。
JR竹田駅には播但線開通時の明治39年4月竣工のプレートが残っているそうです。
城攻めのあとで街中散策をするのも楽しいですね。

車で訪れる場合は中腹に無料駐車場があります。
ここからは一時間もあればお城全体を見て回る事が出来ます。
石段が続きますので足元だけは整えておいた方が無難です。

今回訪れたのは初秋でしたが、晩秋になると下草も無くなりお城の全体像がよく分かるようになると思います。
そして運が良ければ、雲海に浮かぶ竹田城を見ることが出来るかも知れません。
でも、桜の木も多かったので春にお花見を兼ねて城攻めするのも良いかもしれませんね。
富山からはちょっと遠いですが、お近くに行かれた際はぜひ寄ってみてください。
お勧めのお城の一つです。

【竹田城紹介】
このお城は、映画「天と地と」のロケに使われたお城として有名です。
平成18年には「日本の名城100選」にも選ばれています。
標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に築かれており、 縄張りは、南北約400m、東西約100mの規模を誇ります。

竹田城は但馬守護大名の山名宗全が室町時代中期の1441年頃に、 有力家臣のひとりである太田垣光景に築かせた城でです。
その後約100年にわたり、太田垣氏が支配を続けますが、 1577年(天正5年)織田信長の命により羽柴(豊臣)秀吉が但馬を攻略し、 この時功績のあった弟の羽柴(豊臣)秀長が竹田城主となります。
今に残るような石垣のお城に改築されたのは、1585年(天正13年)赤松広秀が 2万2千石で竹田城主になってからと言われています。
赤松広秀は1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは西軍に加担したため戦後に自刃。
竹田城もこのとき廃城となりました。

【攻城手記】
毎度ドライブを兼ねてのお城訪問です。
富山からは片道約400q、約5時間の運転です。
(舞鶴若狭自動車道が部分開通したのでずいぶん楽になりました^^)
以前より評判を聞きながら、いつかは訪れてみたいと思いつつ、 何度も近くを通りながら断念していたお城でしたが、 ついに念願の城攻めを行う事が出来ました。

まずは、城攻めの前にJR竹田駅に寄ります。
この駅舎はとても味わいがあり、昔ながらの鉄道の姿を留めています。
お城に興味が無くても鉄道フアンの方必見です。
始発電車前の時間帯でしたので、写真が暗いのはご勘弁を。

写真:01.竹田駅


次の写真は麓から撮影した竹田城の全景です。
山頂部からずっと石垣が連なっているのがお分かり頂けると思います。
この形が虎が伏せた姿に見える事から、別名「虎臥城」とも呼ばれています。
城攻めを直前にワクワク感がみなぎってきます。
*** メモ ***
竹田城を攻めるにはJR竹田駅の駅裏から登山道が整備されているので、徒歩による城攻めも可能です。
また、中腹には無料駐車場も整備されているので、そこまで車で上がることも出来ます。
車で上がる場合ルートが2つありますが、JR竹田駅の南西側にある観光案内センターを目印とした南登山道がお勧です。
もう一つの西登山道も車で行くこともできますが、こちらのルートは道幅が狭くてお勧めしません。
(でも、このルートの途中にある「山城の郷」は物産販売所なども併設されているようなので休憩などに利用できます。)
写真:02.麓からの全景


中腹の駐車場には案内図が設置されています。
また、城攻めの必須アイテム案内パンフレットが置いてあります。
ここからの城攻めは徒歩になりますがルートは2つに分かれます。
  • 本丸へ最短距離でいける花屋敷を抜けるルート(案内図上側から攻めるルート)
  • 南側を迂回して大手門へ抜けるルート(案内図下側から攻めるルート)
写真:03.現地案内図


本丸へ最短距離でいける花屋敷を抜けるルートは、細く急勾配の登りが約20分程続きます。
往路は南側を迂回して大手門から入り、復路は花屋敷経由で最短ルートで駐車場へ戻るルートが良いと思います。
南側を迂回して大手門から上るルートは駐車場横の山門から進みます。

写真:04.駐車場横の山門


約15分ほどアスファルト道を歩くと大手門下に到着します。
ここからつづら折りの登山道を少し上るといよいよ大手門跡に到着です。
(案内図の右下の位置になります)
写真左側が山頂部で、三の丸をはじめ、二の丸、本丸などの曲輪が配置されています。

この、大手門から三の丸方面に攻め上がるには、クランク状に折れ曲がった通路と両側を石垣で囲まれた階段を上る必要があります。
このようなクランクを虎の口に似ていることから「虎口」と言いますが、当時はこの両側に壁があり門も備えられていたと想像すると、非常に堅固な防御施設であったことが想像出来ます。

写真:05.大手門跡


このお城の石垣には所々黒くなっている所が有ります。
これは、落城の際に消失した建物の火災の跡と思われます。
400年以上の時を経て未だに石垣に残っています。
お城の際いつも感じるのですが、ここで実際に戦いが行われた現実は絶対に忘れてはならないとつくづく実感させられます。

写真:06.火災の跡


この石垣には石を切り出した時のノミの跡が残っています。
ここまではっきりと残っているのは余り見たことがないですね。
当時の技術力に脱帽です。

写真:07.石垣ノミのあと


この三の丸の北側から二の丸、本丸を望みます。
今は下草や木々に覆われていますが、それでも山頂部の本丸に向けてずっと石垣が築かれている様子がよく分かります。
なかなか絵になる構図ですね

写真:08.三の丸から二の丸を望む北側


三の丸と二の丸の間には「武の門」があり有ります。
この門も「虎口」になって防御力を高めています。

写真:09.武の門


二の丸まで上がると展望が開けてきます。
ここからは、JR竹田駅とその町並みを見下ろすことができます。
JR竹田駅前の町並みは当時からのまま保存されているとのことなので、当時の城下町もこのような感じで栄えていたと思われます。

写真:10.二の丸から竹田駅を望む


いよいよ本丸に突入です。
本丸への階段は急な上に、途中で階段の幅が狭くなっています。
まさに攻めにくく守りやすい工夫がここにも施されています。

写真:11.本丸入り口


本丸は山頂部に築かれているため、ここからは360度の展望が開けています。
また、山腹にすべて石垣で築かれた各曲輪を手に取るように望むことができます。
東側には攻め上がってきた三の丸と大手門の先に北千畳呼ばれる曲輪を望むことが出来ます。
また、三の丸中央部に搦め手(裏道)と思われる遺構があることがみてとれます。

写真:12.本丸から三の丸北千畳を望む


本丸の南側には、南二の丸、南千畳呼ばれる曲輪が築かれています。
絶妙に配置された門や建物、通路が当時のまま保存されています。
ここからの眺めはすばらしく、遠くまで見渡すことが出来ます。
(写真右中段にあるのは、播但連絡道路「和田山」PA)
この地が播磨に繋がる交通の要衝で有ったこともここにお城が築かれた理由の一つと思われます。
(この写真のアングルは竹田城を紹介するHPなどには必ず載っている竹田城の撮影ポイントの一つです。)

写真:13.本丸から南二の丸を望む


本丸にある、天守台です。
この天守台はなぜか階段が付いていません。
そのためハシゴがおいてあるのですが、正直そんなに広くありません。(せいぜい3〜4坪ぐらいかなぁ)
このお城が築かれた年代なんかを合わせて考えるともしかしたら天守台でなく単なる見張り台だったのかも・・・。

写真:14.天守台


本丸からの帰りは花屋敷を抜けて駐車場へ戻ります。
この花屋敷と呼ばれる曲輪もかなりの広さがあり、ここと本丸の間にはかなりの高さがある石垣が築かれています。
また、この曲輪はお城の北西部を守るために独立して戦えるよう各所が門で守られています。

写真:15.花屋敷から本丸


花屋敷からは駐車場への最短ルートで戻ります。
このルートは、急坂が延々と続きます。
道は細いながらも、きちんと整備はされているのでゆっくり降りれば問題ありません。
が、往路でこのルートを使うとかなりしんどいことになると思います。
途中には、曲輪や門の跡らしき遺構も幾つか見受けられ当時の姿に思いを馳せる事が出来ます。
(写真がブレてるのは息があがりかけてるからというのはナイショ;;)

写真:16.降りルート


このお城は、四季に渡って姿を変える奥深いお城です。
お城の内だけでなく外からの撮影ポイントも多数あり、季節を変えてもう一度訪れたいお城です。
(一度は雲海に浮かぶ竹田城を見てみたいですね。)

***最後に***
竹田城の普請には13年の歳月を要し付近の百姓を多数動員したため、百姓は耕作することが出来ず「田んぼに木が生えた。」という言い伝えがあるそうです。
当時の生活はさぞ過酷なものだったのでしょう。
城攻めの際はそういった当時の苦労も忘れてはいけませんね。

【まとめ】
山頂部に築かれた石垣が良く残る日本有数の山城の一つです。
天守台から眺める景色は絶景。
冬季の朝には霧が出やすい地域であり運が良ければ雲海に浮かぶ「天空の城」を見ることが出来ます。

【メモ】


・交通アクセス
所在地: 兵庫県朝来郡和田山町竹田字古城山
鉄 道: JR播但線 竹田駅下車 徒歩約1時間
(駅裏の登山道から上れます。列車本数が少ないので帰りの時刻を確認のこと。)
隣の和田山駅からはならタクシーの利用も可能です。
車  : 舞鶴若狭自動車道「福知山」ICから国道9号線を和田山、鳥取方面へ進み和田山市街地(一本柳交差点)で国道312号線を生野、姫路方面へ。
または、播但連絡道路「和田山」ICから国道312号線を生野、姫路方面へ。
駐車場: 中腹に駐車場あり。(約50台程度)

・入  場  料

無料

・近くの見所
出石城: 一国一城令で残った但馬国唯一のお城で、辰鼓櫓、堀、石垣などが残る。城下町も見所多数。
福知山城: 福知山市街地にあり、三層の天守閣を持つお城。本丸の石垣は明智光秀の築城当時のまま保存されている。
生野銀山跡: 戦国時代から江戸、近代まで活躍した銀の鉱山跡。


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Text & Photo by Y.No


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