のっちゃんの攻城手記−富山県のお城(その3)


第19回目は「富山県のお城(その3)」と題して前回に引き続き、富山県の東部にあるお城を纏めてご紹介します。

まずは、魚津市にある「天神山城」です。
魚津城攻防の際、上杉景勝が後詰めのために陣を敷いた場所として有名なお城です。
中腹には魚津歴史民族資料館、吉田記念郷土館がありますので一緒に訪れてみては如何でしょうか。

【天神山城紹介】
標高163mの天神山の山頂に築かれた山城。
山頂部に大きな削平地二ヶ所が設けられ、片貝川に面して土塁が築かれ、帯郭状の削平地、縦堀、空堀も数多い。
天神山城が史料に登場するのは元亀三年(1572)で、上杉方の越中における重要な中継地点であったことが知られる。
また、天正十年(1582)の魚津城の戦いの折、越後の上杉景勝が後詰として陣を敷いた城として著名である。
天神山は元来、松尾山と呼ばれていたが、室町将軍足利義材が都の乱を逃れて小川寺に身を寄せた折、 その守護神の菅公像(天神様)を松尾山に祀ったことから天神山と名を改めたと伝えられる。
なお山頂部から弥生時代末期の土器が出土しており、二世紀末の倭国大乱に関係する弥生時代の山城跡と考えられている。

「現地案内板」より

【攻城手記】
魚津歴史民族博物館から先は車両進入禁止とのことで、ここに車を止めさせて頂き徒歩で山頂を目指します。
ここの屋外には、分かりやすい案内図が掲示されていました。

写真:01.天神山_歴史民俗博物館


写真:02.天神山_現地案内図


徒歩で5分ほどで山頂に到着です。

写真:03.天神山_本丸碑


写真:04.天神山_本丸からの眺め


写真:05.天神山_現地案内板


残念ながら石垣やお堀など遺構らしき物は見つけることが出来ず、唯一本丸跡の山頂部に削平地と土塁跡がわずかに残るのみでした。

【メモ】

・交通アクセス
所在地: 富山県魚津市小川寺字天神山
鉄 道: JR北陸本線 魚津駅下車タクシーで10分
車  : 北陸自動車道 魚津ICから車で10分
駐車場: 魚津歴史民族博物館の駐車場(5台程度)

・入館料:

無料


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次は、これも魚津市にある「松倉城」です。
松倉城は、富山県の3大山城の一つに数えられる山城で最大規模を誇ります。
魚津市のスーパー農道を走ると、舛方城、北山城、坪野城、水尾城などたくさんのお城への道路案内板を目にしますが、 これらのお城は何れも松倉城を取り囲む支城で、松倉城を中心にたくさんの支城を配し城塞化していました。
戦国時代の椎名氏が治めていた頃の人口は約1万人と言われています。
ゴールデンウイーク以降であれば雪も解け、本丸下まで車で行くことができます。
熊の出没情報が多い場所なので訪れる際は熊対策を忘れずに。

【松倉城城紹介】
倉城は、魚津市の南部、鹿熊字城山(標高約430m)に位置する山城で、 山頂付近の尾根続きの峰々には空堀によって区切られた五つの郭が、 約350mの長さで南北に並び、その周辺部には多数の平坦地や空堀などが設けられている。
特に現在の鹿熊集落に面した北西側には多くの削平地が続いており、館跡と見られる平坦面や石積みの門遺構がみられる。 広大な城域は越中最大規模を誇るものである。
松倉城の三方は急斜面を呈した天然の要害であり、さらに周辺には水尾城など数箇所の支城で囲まれた城塁群を形成している。
またこの城の発展には、松倉金山が関係しているともいわれる。
築城は南北朝期の14世紀前半と推定され、幾多の武将がこの城をめぐって争い、戦国末期の16世紀末までの約250年の長期にわたって、 新川郡の要として戦乱の中で重要な役割を果たしてきたが、慶長年間(1596〜1615)の初めには廃城になったといわれる。

「魚津市ホームページ」より

【攻城手記】
県道33号線を松倉小学校前を過ぎて鹿熊集落、落角川ダムを過ぎて500メートルほど進むと、 松倉城への案内板が見えてきます。

写真:11.松倉_角川ダム案内板


さらに200m程進むと、遊歩道の入り口が見えてきます。
徒歩で上がる事も出来るようですが、かなり時間がかかりそうです。

写真:12.松倉_遊歩道入り口


迷わず車を選択しますが、この道も車一台がやっと通れる道幅で、所々落石の痕跡も・・・。
とうとう本丸まであと1キロほどのところで倒木のため車は進めず、やむを得ず引き返してきました・・・。
訪れた時期は4月初旬で、今年は雪も少なかったからもう大丈夫だろうと思っていたのですが、 人里は春真っ盛りでも、山の上は春はまだ遠しと言った感じでした。
(松倉城入城の門広場なども整備されていて、人の気配が全くない場所では無いのですが、如何せん訪れた時期が悪かったですね。)

ちなみにこのお城は桜の名所でもあり、富山県の桜の名所50選にも選ばれています。
また、5月の下旬には「戦国のろし祭り」も開催されるそうなので、そのころに訪れる事をお勧めします。

【メモ】

・交通アクセス
所在地: 富山県魚津市字城山3の2
鉄 道:
車  : 県道33号線をひたすら南下します。
松倉、鹿熊集落を過ぎ、角川ダムから500メートルで松倉城の案内板があります。
そこを鋭角に左折すると、本丸下まで車で行くことが出来ます。
駐車場: 本丸下に無料駐車場(10台程度)


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次は、上市町にある「弓庄城(ゆみのしょうじょう)」を紹介します。
弓庄城の跡地には弓の里歴史文化館があり、弓庄城や町内の他の遺跡で出土した品が展示されています。

【弓庄城紹介】
本城址は、戦国時代に新川群一帯を領していた土肥氏の居城跡である。
土肥氏は相模国土肥郷(伊豆河原町付近)を本領とした土肥次郎実平(源頼朝の功臣)を祖とするといわれる。
越中入部は正平年間(南北朝期)であったと伝えられる。
当初は、堀江荘(滑川市堀江)に本拠があったといわれるが、室町時代から戦国時代には次第に在地領主化していったものた考えられる。
その課程の中で本拠を本地に移していった。
天正年間には越中平定を目指す佐々成政の攻撃を受け、一年あまりの激しい攻防の末、開城した。
ここに土肥氏の支配は終焉を迎え、佐々成政による越中支配が確立した。
城の範囲は、南北約600m、東西約150mにわたるが、そのうち本丸にあたる約20,000uが上市町の指定史跡の対象地となっている。
ここは、昭和五十五年から五年間にわたって発掘調査が行われ、豪跡・土塁・建物跡・井戸などの遺構が見つかった。
また灯明皿・珠洲焼・中国製磁器など焼物のほか木製品(箸・椀・柄杓・下駄・曲物・櫛など)や 金属製品(刀・鎧辺・鉄砲の弾・かんざしなど)など多数の遺物が出土しており、当時の生活の様子がうかがわれる。
周辺はその後のほ場整備で姿を変えたが、本丸周辺はそのまま保存されており、往時をしのばせている。

「現地案内板」より

【攻城手記】
現在の滑川、上市の周辺を領していた土肥氏のお城です。
弓の里歴史文化館前の田んぼの真ん中に、本丸跡を示す石碑が建っています。
周囲は今では一面田んぼになっていますが、弓の里歴史文化館に展示されている復元ジオラマや縄張図を見ると 当時はかなりの規模を有したお城の様です。
(弓の里歴史文化館の庭に当時の縄張図が描かれています。)

写真:21.弓庄城_弓の里歴史文化館


写真:22.弓庄城_弓庄城跡全景


写真:23.弓庄城_本丸跡の碑


写真:24.弓庄城_現地案内板

【メモ】

・交通アクセス
所在地: 富山県中新川郡上市町舘182番地
鉄 道: 富山地方鉄道 上市駅からタクシーで約10分。
または上市駅からコミュニティバスで大岩行き柿沢2区下車で徒歩10分
車  : 北陸自動車道 立山ICから車で15分
駐車場: 無料駐車場(50台程度)

・入館料:

無料


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Text & Photo by Y.No


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