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「天地人」ゆかりの地を訪ねる2日間の旅

こんにちは

上杉謙信を師と仰ぎ、兜に「愛」の文字を掲げた兼続は、その波乱の生涯を通じて、民・義・故郷への愛を貫きました。
「利」を求める戦国時代において、「愛」を信じた兼続の生き様は、弱者を切り捨て、利益追求に邁進する現代人に鮮烈な印象を与えます。
大河ドラマは、失われつつある「日本人の義と愛」を描き出します! 
−NHK「天地人」より引用−

いよいよ最終回ですね。「天地人」ゆかりの地を訪ねるの旅に参加しました。そしてタイミングよく真っ盛りの紅葉に出会い、楽しい2日間を過しました。

一日目 愛・天地人博見学=「味噌なめたか」の臨済宗 関興寺参拝=
古来、禅院の生活は枯淡であり食事も質素で味噌は禅院の生活に欠かせないとあって、寺では修行僧のため沢山の味噌を作り貯えていた。
天正6年(1578年)上杉謙信の没後、景勝・景虎二子による家督相続争いの合戦(御館[オタテ]の乱)がおこり、その兵火のため諸堂が焼失した。
その折、時の住職・雨天是鑑和尚は上杉氏より寄進された大般若経六百巻を味噌桶の中に埋めるように修行僧に命じて、火災から大切な経本を守った。
以来、この味噌をいただくものは大般若経のご利益にあずかり福徳が授かることができると言いはやされるようになり、「関興寺の味噌なめたか」との言葉がうまれたと伝えられています。
天地人の旅01
=越後一の寺 日本一の庵寺 雲洞庵=
雲洞庵の土踏んだか・・・・往古より越後の国では、「雲洞庵の土踏んだか」「関興寺の味噌なめたか」と言われ、信仰が盛んであった。
それは、諸国の修行者が、この二大禅道場で曹洞宗と臨済宗の禅を学ばなければ一人前の禅僧と言えぬ、ということから、修行者が互いに言い合ったものと云われている。
また、赤門より本堂に至る石畳の下に法華経を一石一字ずつ刻み、その経石を敷きつめた事から、一年に一度赤門が開かれた時、お参りの善男善女が、 その有難さに随喜して言い合ったのだと云われている。
天地人の旅02
=越後長岡 兼続お船ミュ−ジアム(与板歴史民族資料館)と日本海に沈む日本一の夕日の瞬間=
平成21年1月に全館を直江兼続中心の展示にリニユ-アルした資料館。
天地人の旅03
二日目 弥彦公園もみじ谷=
紅葉 今 真っ盛り。
天地人の旅04
=弥彦神社(参拝) 弥彦菊祭り=
天地人の旅05
=弥彦山 弥彦パノラマタワ-へ=
  弥彦山(やひこやま)は、新潟県の西蒲原郡弥彦村と長岡市との境界にある山である。標高は634m。
天地人の旅06
=魚のアメ横 寺泊魚市場でお買い物(帰途)= ・・・・・・・・・・富山へ
天地人の旅07

新潟県 「天地人」ゆかりの地を訪ねる2日間の旅にて 09.11.20

Text & Photo & Illustration & Animation by K.Nozaki

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