〜003 筏橋碑〜

Text & Photo by Y.Ohara

 
筏橋碑

※現地に設置してある案内板より転載

文政六年(1823年)石黒信由製作の「新川郡一町一分分間絵図」によると、江戸時代後期には、飛騨街道は下熊野において筏橋によって熊野川を渡り、左岸(任海村)の堤防沿いに通っていたようである。
これから川越えは、多くは渡し舟を用いられたが、任海では筏橋、鉄鎖でつないだ舟橋もかけられていた。
この碑は、文政元年(1818年)に建立されたものであり、当時の和文で記された珍しい銘文である。
また横には「右八尾、左高山道」と記された道標が建てられているが、これは木曽義仲の家臣今井四郎兼平が当地に宿陣した折、のちのちの為に、間道の道しるべにと建てた道標であるとの伝承がある。
また、この碑のうしろには、任海の御蔵と呼ばれる富山藩の米倉があったが、現在は水田となっている。(平成14年 富山市)


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