〜005 七面堂と長久院〜

Text & Photo by Y.Ohara

 
七面堂

※現地に設置してある案内板より転載

旧北陸街道が呉羽山を越える峠を紅葉坂とよび、この峠を抱く山が明神山であり、ここから見おろす東の谷を五時谷(ごじたに)と呼んでいる。
万治年間(1650年代)富山藩士奥村蔵人が、藩祖前田利次(としつぐ)からこの谷を拝領し、甲州身延山の七面大明神と同じ型の尊像を祀ったので、この山を明神山、御堂を七面堂と呼ぶようになった。
のち二代藩主正甫(まさとし)は日蓮宗に帰依し、ここに寺を建て、武運山長久院と名づけた。
また、五代藩主利幸(としゆき)はここを藩の祈願所とし、寺領を寄進した。
当時は切石数百の道をととのえ、田毎の月のあじわいがあり、長久院から七面堂まで男坂・女坂の二道を設け、宝塔が高くそびえていた。山上の大燈炉は夜通しともされ、参詣人はひきもきらなかったといわれていた。
明治3年(1870)の合寺令で、御堂・塔とも取りこわされている。(平成6年 富山市)


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