〜061 神通川馳越線〜

Text & Photo by Y.Ohara

 

※現地に設置してある案内板より転載

神通川は、かつてここから大きく東に曲がり富山城の北側を流れていたため、堤防が決壊しやすく、たびたびはんらんを起こしては、人々を苦しめていました。
この被害を食い止めようと、常願寺川改修工事で知られるヨハネス・デ・レーケ等の提案により、明治34年(1901)から馳越線工事がはじまりました。
これはU字形にカーブした部分を新しい水路でまっすぐにつなぎ、流れを分けるというものでした。
2年後の明治36年(1903)に完成した馳越線は、水路幅が2mしかありませんでしたが、洪水のたびに水が流れ込み、その水のいきおいで少しずつ川幅を広げていきました。
そして、大正3年(1914)に起きた洪水では、ついに旧神通川にはほとんど水が流れなくなりました。
このため、旧流路は堤防で締め切られ、ようやく神通川の水害が抑えられるようになりました。

「はせこし」の由来
「馳越」とは、増水した川の水が堤防を乗り越え、たびたび水があふれたので、「山から馳せてきた水が堤を越すところ」という意味から、「馳せ越す」「馳せ越し」と呼ばれたことからきています。

(国土交通省富山河川国道事務所・富山県・富山市)


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